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ベルギー出身の名探偵、エルキュール・ポアロ。アガサ・クリスティーが生んだこの人物の名前は、ミステリーを読まない人でも一度は耳にしたことがあるでしょう。そのポアロが活躍する長編のなかでも、とりわけ評価の高い一冊が『アクロイド殺し』(原題 The Murder of Roger Ackroyd)です。
2013年には、イギリスの推理作家たちの団体である英国推理作家協会(CWA)の会員投票で、「史上最高の推理小説」に選ばれました。今回は、はじめて読む方に向けて、物語の入り口と読みどころを紹介します。推理小説ですので、犯人や謎解き、中盤以降の展開には一切触れません。
どんな本か――作者と時代
作者のアガサ・クリスティーは、1890年9月15日にイングランド南西部デヴォン州のトーキーで生まれ、1976年1月12日にオックスフォードシャー州ウォリングフォードで亡くなりました。著書の売り上げは20億部を超え、史上もっとも売れた小説家とされています。
クリスティーがポアロを登場させたのは、1920年に出版された最初の長編『スタイルズ荘の怪事件』でした。元はベルギーの警察官だったという設定のポアロは、その後、長編33作と50を超える短編で活躍することになります。
『アクロイド殺し』は、ポアロが登場する3作目の長編です。まず1925年にロンドンの夕刊紙『イヴニング・ニューズ』で、『誰がアクロイドを殺したか?(Who Killed Ackroyd?)』という題で連載されました。単行本は1926年6月にイギリスのコリンズ社から出版され、同じ年にアメリカのドッド・ミード社からも刊行されています。
物語の入り口――ある未亡人の死と、うわさの絶えない村
舞台は1920年代のイングランドの小さな村、キングズ・アボット。この村には、医師のジェームズ・シェパードが、独身の姉キャロラインと二人で暮らしています。
物語は9月のある金曜日の朝に始まります。シェパードは、村の屋敷キングズ・パドックに住む裕福な未亡人、フェラーズ夫人のもとに呼ばれました。夫人は、眠れない夜のために使っていた薬を飲みすぎて亡くなっていたのです。ところが朝食の席に戻ると、姉のキャロラインはもう、そのことを知っていました。村じゅうのうわさを誰よりも早く集めてくるのが、キャロラインという人なのです。しかも彼女は、夫人の死について、自分なりのとんでもない説まで持ち出してきます。
村にはもう一つ、大きな屋敷があります。ファーンリー・パークに住む、裕福で人当たりのよい実業家ロジャー・アクロイドです。妻を亡くしたアクロイドと、夫を亡くしたフェラーズ夫人が、いずれ結婚するのではないか――村の人々は以前からそうささやき合っていました。アクロイドには、村の人たちに好かれている、ハンサムだけれど気ままなところのある義理の息子ラルフ・ペイトンもいます。
そしてシェパード家の隣には、最近、ひとりの男が越してきていました。自分の過去を語りたがらず、カボチャの仲間の野菜(ヴェジタブル・マロウ)を育てている人物です。キャロラインは、この人はきっと引退した理髪師だろうと見当をつけています。じつはこの男こそ、探偵の仕事から退いて村に住んでいた、エルキュール・ポアロでした。
フェラーズ夫人が亡くなったその日、ひどく動揺した様子のアクロイドから、シェパードは夕食に招かれます。題名が示すとおり、この夜からアクロイドをめぐる事件が動き出します。ここから先は、ぜひ本で確かめてください。
読みどころ――村の人々と、野菜づくりの名探偵
一つ目の読みどころは、村そのものです。キングズ・アボットは、誰がいつ誰と話していたかが、あっという間に知れわたってしまう小さな村。人々のあいだを行き交ううわさ話が、物語にユーモアと生活の手ざわりを与えています。第2章の章題が「キングズ・アボットの人名録(Who's Who in King's Abbot)」となっているとおり、序盤では村の主な屋敷とそこに暮らす人々が紹介されるので、人間関係をつかみながら読み進められます。
二つ目は、姉のキャロラインです。好奇心のかたまりで、医師の弟より先に村の出来事を知っていて、しかも自信満々に持論を語る彼女は、読んでいて思わず笑ってしまう存在です。弟はその説を聞き流しながらも、つい気になってしまう。この姉と弟の朝食の席のやりとりから、物語は軽やかに始まります。
三つ目は、ポアロの登場のしかたです。名探偵として颯爽と現れるのではなく、隣の家で野菜を育てている、ちょっと変わった引退者として物語に入ってくる。第3章の章題は、そのものずばり「ヴェジタブル・マロウを育てる男(The Man Who Grew Vegetable Marrows)」です。素性を明かさない隣人として描かれるポアロが、どんな人物なのか。隣人どうしの何気ない会話の中から、少しずつ見えてきます。ポアロものをはじめて読む人にとっても、この人物を好きになるのにちょうどよい入り口です。
こんな人におすすめ
- 名探偵ポアロをドラマや映画で知っていて、原作を読んでみたい人
- 小さな村を舞台にした、人間関係のにぎやかなミステリーが好きな人
- 「名作」と呼ばれる推理小説を、一冊きちんと読んでみたい人
邦訳・版の案内
代表的な邦訳は、早川書房のクリスティー文庫に収められた羽田詩津子訳です(2003年刊、クリスティー文庫の3番)。同じ羽田詩津子訳は、小学校高学年・中学生からを対象にしたハヤカワ・ジュニア・ミステリの一冊『名探偵ポアロ アクロイド殺し』(2022年)としても出ています。また、早川書房からは1982年に田村隆一訳も刊行されていました。
うわさ好きの姉が朝食の席で話し始めたら、あなたももう、キングズ・アボットの住人の一人です。
English version of this review: The Murder of Roger Ackroyd
参考
- Wikipedia「The Murder of Roger Ackroyd」(英米の初版の刊行年と出版者・新聞連載と連載時の題名・ポアロ長編の第3作・舞台の村・村の医師シェパードと姉・序盤の設定・2013年の英国推理作家協会の投票) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Murder_of_Roger_Ackroyd
- Wikipedia「Agatha Christie」(生没年と生没地・最初の長編とポアロの初登場・著書の販売部数) https://en.wikipedia.org/wiki/Agatha_Christie
- Project Gutenberg「The Murder of Roger Ackroyd by Agatha Christie」(eBook #69087・第1〜3章の章題と序盤の内容の確認のみ。引用はしていない) https://www.gutenberg.org/ebooks/69087
- 国立国会図書館サーチ『アクロイド殺し』ハヤカワ文庫 クリスティー文庫3・羽田詩津子訳(2003年) https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004315192
- 紀伊國屋書店『名探偵ポアロ アクロイド殺し』ハヤカワ・ジュニア・ミステリ・羽田詩津子訳(2022年・対象年齢) https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784152101464
- 国立国会図書館サーチ『アクロイド殺し』早川書房・田村隆一訳(1982年) https://ndlsearch.ndl.go.jp/en/books/R100000038-I800143
