『海底二万里』ジュール・ヴェルヌ — 謎の「海の怪物」を追って、世界の海へ

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「海の底をめぐる大冒険」と聞いて、題名だけは思い浮かぶという人は多いかもしれません。ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』(原題 Vingt mille lieues sous les mers)。1869年から1870年にかけてフランスで発表された、海洋冒険SFの古典です。

150年以上前の小説ですが、読みはじめると、まるで深海のドキュメンタリーを見ているような気分になります。今回は、はじめて読む方に向けて、物語の入り口と読みどころを紹介します。航海の行き先や後半の展開、結末には触れません。

どんな本か――作者と時代

作者のジュール・ヴェルヌは、1828年2月8日にフランス西部のナントで生まれ、1905年3月24日にアミアンの自宅で亡くなりました。父親は息子に家業の法律事務所を継がせるつもりで、ヴェルヌも1847年にパリへ出て法律を学び、1851年には法学士の資格を得ています。けれど彼は、法律家ではなく書く道を選びました。

転機となったのは、編集者ピエール=ジュール・エッツェルとの出会いです。二人の協力から生まれたのが、「驚異の旅(Voyages extraordinaires)」と呼ばれる冒険小説のシリーズでした。『地底旅行』(1864年)、『月世界旅行』(1865年)、そして『八十日間世界一周』(1872年)も、このシリーズの作品です。

『海底二万里』は、エッツェルが出していた隔週刊の雑誌『教育と娯楽誌(Magasin d'éducation et de récréation)』に、1869年3月から1870年6月まで連載され、1870年に単行本になりました。翌1871年11月に出た豪華版には、アルフォンス・ド・ヌヴィルとエドゥアール・リウによる111点の挿絵が収められています。英語には1872年に初めて翻訳されました。

ちなみに題名の「二万里」は、海の深さではありません。原題の「リュー(lieue)」は距離の単位で、二万リューはおよそ8万キロメートル。地球をほぼ二周する、旅の道のりを表しています。

物語の入り口――世界中の海に現れた「怪物」

時は1866年。世界のあちこちの海で、船乗りたちが奇妙なものを目撃していました。正体の分からない、巨大な何か。船がぶつかったり行方不明になったりする事故も起き、「海の怪物」のうわさは世界中をかけめぐります。

語り手は、パリの自然史博物館で助教授をつとめる海洋生物学者、ピエール・アロナクス教授。海底の神秘をめぐる大部の著書で知られる学者です。調査旅行の帰りにたまたまニューヨークに立ち寄っていた教授は、この怪物の正体について、桁はずれに大きなイッカク(角をもつクジラの仲間)ではないか、という説を発表します。

そこへアメリカ政府から、怪物を探し出して退治するための遠征に加わらないか、という誘いが届きます。艦長ファラガットが指揮する高速フリゲート艦(軍艦の一種)エイブラハム・リンカーン号での航海です。教授に付き従うのは、10年来の忠実な召使いコンセイユ。そして船には、腕ききの銛(もり)打ちとして名高いカナダ人、ネッド・ランドも乗りこんでいました。

船では、怪物を最初に見つけた者に2,000ドルの賞金が出ると約束され、乗組員たちは目を皿のようにして海を見張ります。世界中が注目する獲物を、自分たちの手でしとめられるのか。出航した船の上には、期待と緊張が入りまじった空気が満ちています。

こうして三人は、正体の分からない「怪物」を追って海へ出ます。そこで彼らが何に出会うのか――それはぜひ本で確かめてください。

読みどころ――博物学の目と、三人三様の旅

一つ目の読みどころは、語り手の目です。語り手が博物館の海洋生物学者なので、うわさの「怪物」でさえ、まずは学者らしく、知られている海の生きものと比べながら筋道立てて考えようとします。怪談めいた話を科学の言葉で解きほぐしていく語り口に、未知の世界に入っていくわくわく感が重なります。

二つ目は、性格のまったく違う三人の組み合わせです。好奇心と学問への情熱で動く教授。どんなときも落ち着きはらい、主人のことを「旦那様は」と三人称で呼ぶほど律儀なコンセイユ。そして寡黙で、反論されるとかっとなる、行動派の銛打ちネッド・ランド。同じ出来事を前にしても三人の受けとめ方はまるで違い、そのずれが物語に笑いと緊張を生みます。

三つ目は、挿絵です。ヌヴィルとリウによる原書の挿絵は、それ自体がこの作品の顔とも言えるもの。日本の文庫にも、原書の挿絵を収めたものがあります。文章と絵を行き来しながら読むと、19世紀の読者が感じた驚きに少し近づける気がします。

文庫では上下巻になる長さですが、身構える必要はありません。もともとは雑誌に1年あまりかけて連載された物語です。続きが届くのを待ちわびた当時の読者のように、少しずつ読み進めるのも楽しい読み方です。

こんな人におすすめ

  • 題名は知っているけれど、原作を読んだことがない人
  • 海や生きものが好きで、図鑑や水族館に心がおどる人
  • 『八十日間世界一周』など、ヴェルヌのほかの冒険小説も読んでみたい人
  • 長めの古典を、挿絵と一緒にじっくり楽しみたい人

邦訳・版の案内

日本での歴史はとても古く、最初の邦訳は1880年の『二万里海底旅行』(鈴木梅太郎訳)とされています。リューやリーグといった単位がなじみにくかったこともあり、『海底二万マイル』『海底二万海里』『海底二万リーグ』など、さまざまな題名で訳されてきました。『海底二万里』という題もその一つで、題名が違っても同じ作品です。

いま手に取りやすい文庫としては、新潮文庫の村松潔訳(上下巻)があります。新潮社の案内では挿絵112点を収録しているとされ、電子書籍では上下巻をまとめた合本版も出ています。(先に書いた1871年の豪華版の「111点」は英語版ウィキペディアの記載で、新潮社の案内とは1点違います。どちらも出典に書かれた数のままで、差の理由は確認できていません。)

岩波文庫からは、朝比奈美知子訳(上下巻・2007年)が出ています。ほかにも子ども向けの抄訳を含めて数多くの版があるので、書店で最初の数ページを読みくらべて、自分に合う訳を選んでみてください。

エイブラハム・リンカーン号が港を離れたら、もう引き返せません。あなたも三人と一緒に、海の謎を追いかけてみませんか。

English version of this review: Twenty Thousand Leagues Under the Seas

参考

  • Wikipedia「Twenty Thousand Leagues Under the Seas」(雑誌連載の時期と掲載誌・単行本の刊行年・ヌヴィルとリウの挿絵・最初の英訳・「驚異の旅」シリーズ・題名の「リーグ」の意味・序盤の設定) https://en.wikipedia.org/wiki/Twenty_Thousand_Leagues_Under_the_Seas
  • Wikipedia「Jules Verne」(生没年と生没地・法律の勉強・編集者エッツェルと「驚異の旅」・主な作品の刊行年) https://en.wikipedia.org/wiki/Jules_Verne
  • Project Gutenberg「Twenty Thousand Leagues under the Sea by Jules Verne」(eBook #164・第1部冒頭のアロナクス、コンセイユ、ネッド・ランドの人物像・イッカク説・フリゲート艦の任務と賞金) https://www.gutenberg.org/ebooks/164
  • Wikipedia(日本語)「海底二万里」(日本語訳の一覧・1880年の最初の邦訳・『海底二万里』という邦題の由来) https://ja.wikipedia.org/wiki/海底二万里
  • 新潮社『海底二万里(上下)合本版』新潮文庫・村松潔訳・挿絵112点収録・上下巻の合本版・あらすじの「高速フリゲート艦」 https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E050261/
  • 国立国会図書館サーチ『海底二万里 上』岩波文庫・朝比奈美知子訳・2007年8月 https://ndlsearch.ndl.go.jp/en/books/R100000038-I1286934