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山奥の古い城に住む伯爵。映画で何度も演じられてきたあの吸血鬼には、元になった一冊の小説があります。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(原題 Dracula)。1897年にイギリスで出版された、ゴシック・ホラー(古い城や館を舞台に、怪奇と恐怖を描く小説)の古典です。
映画やマンガ、ゲームで「ドラキュラ」の名前を知っていても、原作を通して読んだことのある人は意外と少ないかもしれません。実際に開いてみると、この小説は思っていたのとはずいぶん違うかたちをしています。今回は、はじめて読む方に向けて、物語の入り口と読みどころを紹介します。中盤以降の展開や結末には触れません。
どんな本か――作者と時代
ブラム・ストーカーの本名はエイブラハム・ストーカー。1847年11月8日、アイルランドのダブリンのクロンターフで生まれました。幼いころは原因の分からない病気で、学校に通いはじめる7歳ごろまでほとんど寝たきりだったといいます。その後ダブリン大学トリニティ・カレッジで学び、ダブリン城で公務員として働くかたわら、新聞に劇評を書いていました。
人生を大きく変えたのは、1876年12月の出会いです。ストーカーは、俳優ヘンリー・アーヴィングがダブリンの劇場で演じた『ハムレット』を劇評でほめました。これをきっかけにアーヴィングと親しくなり、やがてロンドンへ移って、アーヴィングのライシアム劇場の支配人を27年にわたって務めます。昼は劇場の仕事に追われる人が、そのかたわらで書き上げたのが『吸血鬼ドラキュラ』でした。伯爵の人物像には、このアーヴィングの影響があったと考える研究者が多いようです。
ストーカーは1890年ごろから調査を始め、100ページを超えるメモを残しています。本人の話では執筆に約3年かかり、原稿の多くはスコットランドのクルーデン・ベイで、1893年から1896年にかけての夏の休暇中に書かれたとみられています。「ドラキュラ」という名前は、ウィリアム・ウィルキンソンという人が書いたワラキアとモルダヴィアの歴史の本から採ったものでした。印刷所に渡された原稿の題名は「The Un-Dead(不死者)」で、刊行の年になってから「Dracula」へ改められています。
本が出たのは1897年5月、ロンドンのアーチボルド・コンスタブル社から(正確な日付は資料によって少しずつ異なります)。刊行当時の書評は、雰囲気をたたえる声と、恐ろしすぎるという声に分かれました。物語はその後、映画にもなっていきます。1922年の映画『ノスフェラトゥ』は無許可の翻案で、ストーカーの未亡人フローレンスが訴えを起こしたほどでした。1931年にはベラ・ルゴシ、1958年にはクリストファー・リーが伯爵を演じています。
物語の入り口――若い弁護士、東の果ての城へ
物語は、ひとりの青年の旅日記から始まります。ジョナサン・ハーカーは、イギリスで資格をとったばかりの事務弁護士(法廷に立つ弁護士とは別の、書類や手続きを扱う弁護士)です。エクセターの雇い主ホーキンズ氏の代わりに、ある顧客のもとへ出張することになりました。顧客の名はドラキュラ伯爵。トランシルヴァニア地方、カルパチア山脈の奥に城を構える貴族で、ロンドン近くのパーフリートにある古い屋敷「カーファックス」を買いたいというのです。
5月1日にミュンヘンを発ったハーカーは、ウィーン、ブダペストと汽車で東へ進み、5月3日、トランシルヴァニアの町ビストリッツに着きます。日記はここから始まります。故郷のイギリスには、婚約者のミナが彼の帰りを待っています。
ところが、いよいよ伯爵の城へ向かうという日、町の宿で様子が変わります。年老いた女性が、今日は聖ゲオルギウスの日の前夜だからと、行かないでほしいとハーカーに懇願するのです。土地の人にとっては、特別な意味をもつ晩のようです。そして十字架を彼に手渡しました。乗り合い馬車で山へ分け入ると、同乗した人々も、彼の行き先を気にして胸の前で十字を切ります。土地の言葉で、魔女や化け物を指す言葉がささやかれますが、ハーカーにはその意味が分かりません。
やがて馬車はボルゴ峠に着き、そこには伯爵からの迎えの馬車が待っていました。夜の山道を抜け、ハーカーは古い城の門の前に降り立ちます。
この城で彼が何を見るのか――それは、ぜひ本で確かめてください。
読みどころ――「記録」だけでつくられた恐怖
一つ目の読みどころは、その独特のかたちです。この小説には、すべてを見わたして語る語り手がいません。登場人物たちの日記、手紙、新聞の切り抜き、船の航海日誌などを並べることで、物語が組み立てられています。目次を開くと、章ごとに「だれの日記か」「だれからだれへの手紙か」が書かれていて、それだけでも少しわくわくします。
この形式のおかげで、読者はいつも、書き手が「その時点で知っていること」しか知ることができません。別々の場所にいる人たちの記録を読みくらべ、ばらばらの出来事を自分でつなぎ合わせていく。その手ざわりは、ホラーというより、上質なミステリーを読むときに近いかもしれません。
二つ目は、旅の描写の楽しさです。序盤のハーカーの日記は、19世紀末の東ヨーロッパへの旅行記として読んでもおもしろく、近代的なイギリスから来た青年と、古い習わしの残る山の土地との対比が、少しずつ不穏さを高めていきます。派手な場面に頼らず、何かがおかしいという感覚をじわじわ積み上げていく書き方は、いま読んでもよくできています。
三つ目は、「原点」に触れる楽しみです。伯爵の姿やふるまいについて、私たちは映画などを通して多くのイメージをもっています。原作を読むと、どこがストーカーの書いたとおりで、どこがのちの時代に足されたものなのかが見えてきます。ポリドリの「吸血鬼」やレ・ファニュの「カーミラ」といった、それ以前の吸血鬼小説から受けついだものがあることも、この作品の奥行きです。
分厚い小説ですが、日記や手紙という単位で区切りがあるので、少しずつ読み進めるのにも向いています。
こんな人におすすめ
- 映画やマンガで知っている「ドラキュラ」の、元の姿を確かめてみたい人
- 血なまぐさい場面よりも、じわじわと怖くなる雰囲気を味わいたい人
- 手紙や日記を読みつないでいく、ミステリーのような読書が好きな人
- 19世紀の古典を、物語としての面白さから読んでみたい人
邦訳・版の案内
日本では1950年代から訳されてきました。文庫で出ているものには、たとえば次の3点があります。
東京創元社の創元推理文庫からは、平井呈一訳『吸血鬼ドラキュラ』(1971年)。平井呈一は1956年に抄訳を出しており、この1971年版で全訳になりました。KADOKAWAの角川文庫からは、田内志文訳『吸血鬼ドラキュラ』(2014年)。そして光文社古典新訳文庫からは、唐戸信嘉訳『ドラキュラ』(2023年)が出ています。
この作品は日記や手紙でできているため、訳によって、登場人物ひとりひとりの「書き癖」の出し方がずいぶん違います。書店で、最初のハーカーの日記を何ページか読みくらべてから選んでみてください。
年老いた女性が十字架を手渡すあの日、あなたもきっと、ハーカーと一緒に引き返すべきか迷うはずです。
English version of this review: Dracula
参考
- Wikipedia「Dracula」(1897年5月にロンドンのアーチボルド・コンスタブル社から刊行され、正確な日付は資料により異なること・印刷用原稿の題名が「The Un-Dead」で、1897年に「Dracula」へ改められたこと・手紙、日記、新聞記事、航海日誌などで語られる書簡体のゴシック・ホラーであること・序盤の設定(英国の新米事務弁護士ジョナサン・ハーカーがカルパチア山脈の伯爵の城へ、ロンドン近くの屋敷購入の手続きに向かうこと・婚約者ミナ・マリー)・1890年からの100ページを超える調査メモと、ストーカー自身が執筆に約3年かかったと述べたこと・1893〜1896年の夏にスコットランドのクルーデン・ベイで多くが書かれたとみられること・ヘンリー・アーヴィングが人物像に影響したとする説が多いこと・「ドラキュラ」の名をウィリアム・ウィルキンソンのワラキア・モルダヴィア史から採ったこと・ポリドリ「吸血鬼」やレ・ファニュ「カーミラ」などの影響・刊行時の評価が割れ、雰囲気をほめる書評と、恐怖の描写が多すぎるとする書評があったこと・1922年『ノスフェラトゥ』が無許可の翻案で、未亡人フローレンスが訴えたこと・1931年ベラ・ルゴシ、1958年クリストファー・リーが伯爵を演じたこと) https://en.wikipedia.org/wiki/Dracula
- Wikipedia「Bram Stoker」(本名エイブラハム・ストーカー・1847年11月8日ダブリンのクロンターフ生まれ・1912年4月20日ロンドンで64歳で死去・原因の分からない病気で、学校に通いはじめる7歳ごろまで寝たきりだったこと・ダブリン大学トリニティ・カレッジ・ダブリン城の公務員と劇評の仕事・1876年12月にダブリンのシアター・ロイヤルでのヘンリー・アーヴィングの『ハムレット』を劇評でほめ、招かれて親しくなったこと・ロンドンへ移り、ライシアム劇場の支配人を27年務めたこと) https://en.wikipedia.org/wiki/Bram_Stoker
- Project Gutenberg『Dracula』(第1〜2章: 5月3日トランシルヴァニアのビストリッツの日付で始まるハーカーの日記・5月1日にミュンヘンを発ちウィーンに着き、汽車からブダペストを見て進んだ旅程・エクセターの雇い主ホーキンズ・購入される屋敷がパーフリートのカーファックスであること・宿で年老いた女性が聖ゲオルギウスの日の前夜だと懇願し十字架を渡すこと・乗り合い馬車の人々が十字を切り、魔女や化け物を指す土地の言葉をハーカーが理解できないこと・ボルゴ峠と迎えの馬車・夜に古い城へ着くこと・目次に並ぶ日記と手紙の構成) https://www.gutenberg.org/files/345/345-h/345-h.htm
- Wikipedia(日本語)「吸血鬼ドラキュラ」(日本語訳の一覧・訳者・出版社・刊行年・一覧でもっとも早いのが1956年の平井呈一による抄訳『魔人ドラキュラ』で、1971年の創元推理文庫版が完訳版であること) https://ja.wikipedia.org/wiki/吸血鬼ドラキュラ
- 国立国会図書館サーチ『吸血鬼ドラキュラ』創元推理文庫・平井呈一訳・東京創元社・1971年 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001289471
- 国立国会図書館サーチ『吸血鬼ドラキュラ』角川文庫・田内志文訳・KADOKAWA・2014年5月 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I025439046
- 国立国会図書館サーチ『ドラキュラ』光文社古典新訳文庫・唐戸信嘉訳・光文社・2023年10月 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033065226
