『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイ — 一つの家の騒動から、二つの人生が動きだす

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「長い」「登場人物が多い」「ロシアの名前が覚えられない」。ロシア文学の大作と聞くと、そんな不安が先に立つかもしれません。レフ・トルストイの『アンナ・カレーニナ』(原題 Анна Каренина、英題 Anna Karenina)も、たしかに長い小説です。けれども、読みはじめてみると驚くほど入りやすい。最初に描かれるのは、ある家庭で起きた、どこにでもありそうな夫婦げんかだからです。

1875年から1877年にかけて雑誌に連載されたこの長編は、いまでは世界文学の最高傑作の一つに数えられています。今回は、はじめて読む方に向けて、物語の入り口と読みどころを紹介します。結末や後半の展開には触れません。

どんな本か――作者と時代

作者のレフ・トルストイは、1828年9月9日(ロシアの旧暦では8月28日)、トゥーラの南西にある一族の領地ヤースナヤ・ポリャーナで生まれました。亡くなったのは1910年11月20日(旧暦11月7日)、ロシアのアスターポヴォです。1869年には大作『戦争と平和』を完成させています。

『アンナ・カレーニナ』はその次の長編です。日本語版Wikipediaによれば、執筆が始まったのは1873年。1875年から1877年にかけて雑誌『ロシア報知』に連載され(最後の部分だけはこの雑誌に載りませんでした)、1878年に単行本として刊行されました。全体は8部・239章という大きな構成です。英語版Wikipediaによると、トルストイ自身はこの作品を「自分にとって最初の本当の長編小説」と呼んでいたといいます。

もっとも、書きあげるまでの道のりは平坦ではありませんでした。同じく英語版Wikipediaによれば、最後の部分にさしかかるころのトルストイは心の苦しい状態にあり、この小説を嫌うようにさえなっていましたが、それでも気の進まないまま最後まで書きあげたとされています。作者がそこまで格闘しながら完成させた作品だと知って読むと、一つひとつの場面の重みが少し違って感じられるかもしれません。

舞台は帝政ロシア。華やかな都会の社交界と、地方の領地での暮らし。その両方が、細やかに描きこまれています。

物語の入り口――ある家の騒動に、二人の訪問者がやってくる

小説は、幸せな家庭と不幸な家庭のちがいについて語る、短い一文で始まります。いまも多くの人に引用される、有名な書き出しです。

そしてすぐに、ある「不幸な家庭」の場面へ移ります。モスクワの貴族ステパン・オブロンスキー(愛称スティーヴァ)の家では、彼の浮気が妻のドリーに知られてしまい、家じゅうが大騒ぎになっていました。そこで、夫婦の仲をとりなすために、ペテルブルクからスティーヴァの妹がやってきます。それが、この物語の主人公アンナ・カレーニナです。アンナは、政府の高官カレーニンの妻で、8歳の息子セリョージャの母でもあります。

同じころ、もう一人の人物がモスクワに出てきます。スティーヴァの友人で、田舎の広い領地に暮らす地主のコンスタンチン・レーヴィンです。彼の目的は、ドリーの妹で18歳のキティに結婚を申し込むこと。ところがキティのまわりには、騎兵将校のヴロンスキー伯爵という、もう一人の若い男性の姿もありました。

そのヴロンスキーが、駅でアンナと出会います。そして彼は、アンナに強く惹かれていきます。ここから、いくつもの人生が動きはじめます。どこへ向かうのか――それはぜひ本で確かめてください。

読みどころ――二つの物語と、人の心の細やかな描写

一つ目の読みどころは、二つの物語が並んで進んでいく構成です。題名は『アンナ・カレーニナ』ですが、この小説にはもう一本、レーヴィンを中心にした物語が流れています。都会の社交界に生きるアンナと、田舎で土地と向きあうレーヴィン。二人の歩みが交互に描かれることで、愛とは、結婚とは、家族とは何かという問いが、まったく違う角度から照らし出されます。レーヴィンには作者トルストイ自身の考えが色濃く投影されているといわれ、名前の「レーヴィン」も、作者の名「レフ」から来ているとされています。

二つ目は、人の心の動きを追う描写のきめ細かさです。登場人物は、ただの「善人」や「悪人」として片づけられる描かれ方をしません。それぞれの迷いや言い分、口に出さない気持ちまで書きこまれているので、読んでいるうちに、自分の知っている誰かの顔が浮かんでくるはずです。

三つ目は、19世紀ロシアの暮らしそのものです。モスクワやペテルブルクの社交界の空気と、地主が土地や農民と向きあう田舎の暮らし。その対比が、物語の大きな背景になっています。当時の社会の常識が、人々の選択をどう縛っていたのかを感じながら読むのもおすすめです。

なお、ロシアの人名は、正式な名前・父称(父親の名前からつくる、名と姓のあいだに入る呼び名)・愛称など、同じ人物でも呼び方がいくつもあります。読みはじめに、主な人物の名前と関係を簡単にメモしておくと、ぐっと読みやすくなります。

こんな人におすすめ

  • 恋愛だけでなく、結婚や家族について深く考えさせられる物語を読みたい人
  • 長編小説にじっくり腰をすえて取り組んでみたい人
  • 『戦争と平和』よりも身近な題材から、トルストイを読みはじめたい人
  • 映画や舞台で名前は知っているけれど、原作を読んだことがない人

邦訳・版の案内

新潮文庫からは木村浩訳が上・中・下の全3冊で出ています(文庫は1972年刊)。光文社古典新訳文庫からは望月哲男訳が全4巻で出ており、第1巻は2008年に刊行されました。日本語版Wikipediaによれば、望月訳はロシア文学作品の優秀翻訳コンクールで最優秀翻訳賞を受けています。

ほかにも古くから多くの訳があります。どれも同じ作品ですので、書店で最初の数ページを読み比べて、自分に合う語り口を選んでみてください。

モスクワの駅にアンナが降り立つところまで読めば、あなたもきっと、この長い物語の先を知りたくなっています。

English version of this review: Anna Karenina

参考

  • Wikipedia「Anna Karenina」(雑誌『ロシア報知』での連載の期間・単行本の刊行年・8部239章の構成・書き出しの一文・序盤の設定・主な登場人物の紹介・レーヴィンの筋が並行して進むこと・主題・世界文学の最高傑作の一つとされること) https://en.wikipedia.org/wiki/Anna_Karenina
  • Wikipedia「Leo Tolstoy」(生没年と生没地・ヤースナヤ・ポリャーナ・『戦争と平和』の刊行年) https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Tolstoy
  • Wikipedia(日本語)「アンナ・カレーニナ」(執筆開始の年・日本語訳の一覧・訳者・望月哲男訳の最優秀翻訳賞(散文部門)受賞) https://ja.wikipedia.org/wiki/アンナ・カレーニナ
  • 新潮社『アンナ・カレーニナ〔上〕』新潮文庫・木村浩訳(1972年・全3冊) https://www.shinchosha.co.jp/book/206001/
  • 光文社古典新訳文庫『アンナ・カレーニナ1』望月哲男訳(2008年・全4巻) https://www.kotensinyaku.jp/books/book58/