『分別と多感』ジェイン・オースティン — 屋敷を出た母と三姉妹の、新しい暮らしの始まり

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「分別」と「多感」。題名に並ぶこの二つの言葉は、ひとまず二人の姉妹の性格を指していると考えてください。落ち着いて物事を見きわめる姉と、心が動いたら止められない妹。ジェイン・オースティンの『分別と多感』(原題 Sense and Sensibility)は、性格のまるで違う姉妹が、父を亡くし、住み慣れた屋敷を出るところから始まる長編小説です。

オースティンといえば『高慢と偏見』を思い浮かべる方が多いでしょう。けれど、彼女が世に送り出した最初の小説は、こちらの『分別と多感』です。今回は、はじめて読む方に向けて、作品の背景と物語の入り口、読みどころを紹介します。中盤から先の展開には触れません。

どんな本か――作者と時代

ジェイン・オースティンは1775年12月16日、イギリス南部ハンプシャーのスティーヴントンで、牧師ジョージ・オースティンの娘として生まれました。亡くなったのは1817年7月18日、同じハンプシャーのウィンチェスターで、41歳でした。生きているあいだに出た彼女の本には、一冊も作者の名前が載っていません。

『分別と多感』の始まりは、手紙のやりとりで物語を進める「書簡体」の原稿でした。仮の題は、二人の姉妹の名前をそのまま並べた『エリナとメアリアン』。のちにオースティンはこれを地の文で語る形に書き直し、題も姉妹の「性質」を表す言葉に改めました。題名が、人の名前から性質を表す言葉に変わったわけです。

刊行は1811年10月30日。ロンドンのトマス・エジャトンから全3巻で出版され、扉(タイトルページ)には作者名の代わりに「ある婦人の作(By A Lady)」とだけ記されました。出版の手はずを整えたのは、きょうだいのヘンリーです。このとき、刊行の費用は作者の側が持ち、出版社には売れた分に応じて手数料を払うという取り決めでした。新人作家にとっては身銭を切った挑戦でしたが、評判は上々で、初版750部は1813年7月までに売り切れ、オースティンは140ポンドの利益を得ました。当時オースティンは、母と、きょうだいのカサンドラとともに、1809年から住みはじめたチョートンのコテージで暮らしていました。

このあと彼女は『高慢と偏見』(1813年)、『マンスフィールド・パーク』(1814年)、『エマ』(1815年)を発表し、没後の1817年に『ノーサンガー・アビー』と『説得』が刊行されます。『分別と多感』は、その6つの長編の最初の一冊にあたります。

物語の入り口――遺言と、約束と、引っ越し

舞台はイギリス南部サセックスにある屋敷、ノーランド・パーク。ここに暮らすヘンリー・ダッシュウッドが亡くなるところから、物語は動きだします。

屋敷はもともと、ヘンリーのおじにあたる独り身の老紳士のものでした。ところが老紳士の遺言は、屋敷をヘンリーに渡しながらも、その先はヘンリーの息子ジョンと、さらにジョンの幼い息子へと受け継がれるように固く縛っていました。一方、ジョンにとって継母にあたるダッシュウッド夫人と、その娘たち――エリナ、マリアン、マーガレットの三姉妹は、屋敷から生活を支えてもらうことができません。老紳士が三姉妹に残したのは、ひとりにつき千ポンドずつでした。

死の床でヘンリーはジョンに、継母と妹たちの面倒を見てほしいと頼みます。ジョンは約束し、はじめは妹ひとりにつき千ポンドずつ渡そうと考えます。ところが、そこに口をはさむのがジョンの妻ファニーです。わが子の取り分が減る、あの人たちにそれほどのお金はいらない――ファニーにやんわりと言いくるめられるうちに、援助の額はみるみる小さくなり、最後には、ときどき気づかう程度で十分だというところまで縮んでしまいます。この夫婦の会話の場面は、読んでいて思わず苦笑いしてしまうほど見事な「値切り」の運びです。

ヘンリーの死後も、母娘はしばらくノーランドに残ります。数か月が過ぎたころ、ダッシュウッド夫人のもとに一通の手紙が届きます。差出人は、デヴォンシャーに土地を持つ親戚のサー・ジョン・ミドルトン。手ごろな条件で小さなコテージを貸そうという申し出でした。夫人は迷わず受け入れ、母と三姉妹はサセックスを離れて、エクセターの北4マイルほどにあるバートン・コテージへ移ります。小さいながらも手入れの行き届いた家です。背後には丘がそびえ、前には谷が開けています。

ここで描かれる姉妹の性格は、はっきりしています。19歳の長女エリナは分別があり、感情が豊かでありながら、それを抑える術を知っている人。もうすぐ17歳になる次女マリアンは賢く心が広い一方で、何事にも全力で、ほどほどということを知りません。13歳の三女マーガレットは、すでにマリアンのロマンチックなところを少し受け継いでいます。

新しい土地で、この母娘にどんな日々が待っているのか――その先は、ぜひ本で確かめてください。

読みどころ――お金の話から始まる、心の物語

一つ目の読みどころは、物語がとても現実的な「お金」の話から始まることです。誰が屋敷を継ぐのか、いくら渡すのか。登場人物たちの暮らしぶりや選べる道は、数字と結びついて描かれます。とくにジョンとファニーの会話は、はっきり悪口を言わないまま相手を説き伏せていく流れが生々しく、200年前の小説とは思えない身近さがあります。

二つ目は、題名の二つの言葉の意味です。当時の「センス(sense)」は、いまの英語の「センスがいい」とは違い、良識や分別、慎重さを指しました。「センシビリティ(sensibility)」は、感じやすさ、共感する力、感情の豊かさのこと。つまり題名は「頭と心」の組み合わせとも読めます。ただし、この小説は「分別は正しく、多感は悪い」という単純な教訓話ではありません。エリナにも強い感情があり、マリアンにも確かな知恵がある。二人を見くらべるうちに、読み手は「自分ならどちら寄りだろう」と考えずにはいられなくなります。

三つ目は、オースティンらしい人物の描き方です。人のよい世話好きのサー・ジョン、美しいけれどもどこか打ち解けないその妻、そして気前のいいふりをしながら一銭でも惜しむジョン夫妻。登場人物を声高に批判するのではなく、本人の言葉とふるまいでその人柄を浮かび上がらせる書き方は、最初の小説からすでに冴えています。

『高慢と偏見』をすでに読んだ方なら、読みくらべるのもおすすめです。どちらも娘たちの暮らしと財産の問題が背景にありますが、『分別と多感』では、姉妹が自分たちの家を失ったところから話が始まります。同じ作者が、同じ時代の家族をどんな角度から描いたのか、その違いを味わうのも楽しみの一つです。

こんな人におすすめ

  • 『高慢と偏見』を読んで、オースティンのほかの作品も読んでみたくなった人
  • 性格の違うきょうだいの話に、つい自分を重ねてしまう人
  • 家族とお金、引っ越し、新しいご近所づきあいといった、暮らしの手ざわりがある物語が好きな人
  • 1995年の映画『いつか晴れた日に』(アン・リー監督)で物語に興味を持った人

邦訳・版の案内

この作品は訳によって題名が異なり、それぞれ違う本のように見えるので、探すときは注意が必要です。

文庫で読めるのは、ちくま文庫の中野康司訳『分別と多感』(筑摩書房・2007年・535ページ)です。また2024年には、パーカー敬子訳が『理性と感性』という題で、あさ出版パートナーズから単行本として刊行されました。ほかに『知性と感性』という訳題で出た訳もあります。

『分別と多感』『理性と感性』『知性と感性』――題名は違っても、どれも原題 Sense and Sensibility の訳です。二つの言葉をどう訳すかに、訳者それぞれの読み方が表れています。書店や図書館で冒頭を読みくらべ、しっくりくる一冊を選んでみてください。

ノーランドの屋敷を背に、母と三人の娘がデヴォンシャーへ向かうところで、あなたも一緒に旅支度を始めてみませんか。

English version of this review: Sense and Sensibility

参考

  • Wikipedia「Sense and Sensibility」(最初は書簡体で書かれたこと・仮の題が『エリナとメアリアン(Elinor and Marianne)』だったこと・のちに改稿して改題したこと・1811年10月30日にトマス・エジャトンから全3巻で刊行・「ある婦人の作(By A Lady)」として匿名で出たこと・オースティンの最初に出版された小説であること・刊行費用を作者が負担し出版社に手数料を払う方式だったこと・初版750部が1813年7月までに売り切れ作者が140ポンドの利益を得たこと・物語の発端(ヘンリー・ダッシュウッドの遺言の頼み、息子ジョンの妻ファニーが援助をやめさせる、バートン・コテージへの転居)・「分別(sense)」と「多感(sensibility)」の当時の意味・二つの性質は単純な対立ではないという読み方) https://en.wikipedia.org/wiki/Sense_and_Sensibility
  • Wikipedia「Jane Austen」(生没年月日と生没地・父ジョージ・オースティンが牧師だったこと・きょうだいのカサンドラ・1809年に母とカサンドラとチョートンのコテージに移ったこと・きょうだいのヘンリーが出版の手はずを整えたこと・生前は本に名前が載らなかったこと・6つの長編と刊行年・『分別と多感』の評判) https://en.wikipedia.org/wiki/Jane_Austen
  • Project Gutenberg「Sense and Sensibility by Jane Austen」(eBook #161・本文。第1〜6章でノーランド・パークがサセックスにあること・屋敷の相続の取り決め・ジョンが最初に考えた援助額とファニーの説得・エリナ19歳、マリアンは17歳前、マーガレット13歳・第1章の姉妹の人物描写・サー・ジョン・ミドルトンからの手紙・老紳士が三姉妹に千ポンドずつ残したこと・第6章のサー・ジョンとミドルトン夫人の人柄・バートン・コテージがデヴォンシャーのエクセターの北約4マイルにあること・コテージの間取りと周りの景色) https://www.gutenberg.org/ebooks/161
  • Wikipedia(日本語)「分別と多感」(日本語訳の一覧と訳題・1995年のアン・リー監督による映画化と邦題『いつか晴れた日に』) https://ja.wikipedia.org/wiki/分別と多感
  • 国立国会図書館サーチ『分別と多感』ちくま文庫・中野康司訳・筑摩書房・2007年・535ページ https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008473953
  • 国立国会図書館サーチ『理性と感性』パーカー敬子訳・あさ出版パートナーズ・2024年・20cm・374ページの単行本 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033457303