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もし、大人がひとりもいない場所に、子どもたちだけで取り残されたら――。だれが決まりをつくり、だれがみんなをまとめ、どうやって助けを待つのでしょうか。
ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』(原題 Lord of the Flies)は、この「もしも」を真正面から描いた小説です。1954年にイギリスで出版され、2016年にイギリスで行われた調査では「学校で読んだ本のなかで好きな本」の3位に選ばれました。今回は、はじめて読む方に向けて、物語の入り口と読みどころを紹介します。中盤以降の展開や結末には触れません。
どんな本か――作者と時代
ウィリアム・ゴールディングは、1911年9月19日、イギリスのコーンウォール州ニューキーに生まれました。オックスフォード大学のブレイズノーズ・カレッジでは、はじめの2年は自然科学を学び、残りの2年で英文学に移っています。卒業後は学校の先生になり、1940年からはソールズベリーのビショップ・ワーズワース校で英語・哲学・ギリシア語・演劇を教えました。
その教師生活は、第二次世界大戦で中断されます。ゴールディングは1940年に英国海軍に入り、1944年のノルマンディー上陸作戦にも、ロケットを撃ち込む上陸用舟艇の指揮官として加わりました。戦争を間近で見た元海軍士官であり、毎日子どもたちと向き合う学校の先生でもあった――この二つの経験が、のちの作品の背景にあると考えると、物語の手ざわりがよく分かります。
『蠅の王』は、そんなゴールディングの最初の長編小説です。ただし、すんなり世に出たわけではありません。原稿は多くの出版社に断られ、最初は「Strangers from Within」という別の題がついていました。フェイバー・アンド・フェイバー社の編集者チャールズ・マンティースが作者と一緒に原稿に大きく手を入れ、題も『蠅の王』に改められて、1954年9月17日に同社から刊行されました。
その後のゴールディングは、1980年にブッカー賞を受け、1983年にはノーベル文学賞を受賞しました。1988年にはナイトの称号も授けられ、1993年6月19日にコーンウォールで亡くなっています。
この小説には、元になった本があります。19世紀のスコットランドの作家R・M・バランタインが1857年に出した『珊瑚島』(The Coral Island)という少年向けの冒険物語です。南の海の無人島に流れついた少年たちの話で、主人公たちの名前はラーフとジャック。ゴールディングはこの物語から着想を得ましたが、同時に、その物語を現実離れしているとも考えていました。同じ名前の少年たちを、同じような無人島に置いてみたら、どうなるのか。『蠅の王』は、古い冒険物語への、作者なりの問い直しでもあるのです。
物語の入り口――ほら貝が鳴らされる
時代は戦争のさなか。イギリスの少年たちを乗せて疎開先へ向かっていた飛行機が、どこかの海に浮かぶ無人島に落ちます。生きのびたのは、思春期の手前くらいの年ごろの少年たちだけ。大人はひとりもいません。
島で出会うのは、金髪の少年ラーフと、ぽっちゃりとした体つきで眼鏡をかけた少年ピギーです。二人はほら貝を見つけます。ラーフがそれを角笛のように吹き鳴らして、生き残った少年たちを呼び集めました。
その中には、学校で聖歌隊を率いていた赤毛の少年ジャックもいました。
集まった少年たちは、まず「隊長」を決めることにします。選ばれたのはラーフでした。ラーフは、みんなで楽しく過ごすこと、生きのびること、そして通りかかる船に気づいてもらえるよう、のろしの煙を絶やさないこと――この3つを目標に掲げます。そしてラーフとジャック、それにサイモンという少年は、ピギーの眼鏡を使って、のろしの火をおこしました。
大人のいない島で、子どもたちによる小さな「社会」が、こうして始まります。ここから先は、ぜひ本で確かめてください。
読みどころ――「もしも」を、自分のこととして考えさせる
一つ目の読みどころは、設定の分かりやすさです。登場するのは子どもたちだけ、舞台は一つの島だけ。難しい予備知識はいりません。それでいて、決まりとは何か、リーダーとは何か、みんなで何かを決めるとはどういうことか、という大きな問いが、少年たちの小さな集会の中に、ぎゅっと詰めこまれています。
二つ目は、少年たち一人ひとりの顔ぶれです。ほら貝を吹いてみんなを呼び集め、隊長に選ばれたラーフ。眼鏡をかけたピギー。学校で聖歌隊を率いていたジャック。自分が同じ年ごろだったころの教室を思い出しながら読むと、彼らの姿がぐっと身近に感じられるはずです。
三つ目は、象徴の使い方です。みんなを呼び集めたほら貝、火をおこした眼鏡、絶やさないと決めたのろし。物語に出てくる物の一つひとつが、少年たちにとって何を意味するのかを考えながら読むと、何度読み返しても新しい発見があります。読んだあとにだれかと話し合いたくなる余白の多さも、この本の魅力です。
この小説は、アメリカのモダン・ライブラリーが選んだ「ベスト小説100」や、イギリスBBCの読者投票「ビッグ・リード」(2003年)、アメリカ『タイム』誌の「1923年以降の英語小説ベスト100」(2005年)にも選ばれています。1963年にはピーター・ブルック監督、1990年にはハリー・フック監督によって映画にもなりました。
少年たちと同じくらいの年ごろに読むのと、大人になってから読むのとでは、目にとまる人物も場面も変わってくるはずです。一度読んだことがある人にも、読み返す価値のある一冊です。
こんな人におすすめ
- 『動物農場』や『一九八四年』のような、社会について考えさせる物語が好きな人
- 無人島もの・サバイバルものの小説や映画が好きな人
- リーダーシップや、集団の中の人間関係について考えてみたい人
- 学生時代に題名だけ聞いて、まだ読んでいない人
- 読書会や授業で、話し合いのきっかけになる本を探している人
邦訳・版の案内
『蠅の王』は、1960年代から平井正穂による訳が出ており、2017年には新しい訳も加わりました。国立国会図書館サーチで確かめられる文庫には、次のようなものがあります。
ハヤカワepi文庫からは、黒原敏行訳『蠅の王〔新訳版〕』(2017年)が出ています。ここに挙げる3点のなかでは、もっとも新しい訳です。
新潮文庫には、平井正穂訳『蝿の王』が入っています。1975年に文庫になり、2010年に改版されました。新潮文庫版は書名の「蠅」の字が「蝿」になっているので、探すときは気をつけてください。集英社文庫からも、同じ平井正穂の訳が2009年に出ています。
同じ場面でも、訳によって少年たちの口調や島の空気がずいぶん変わります。書店や電子書籍の試し読みで最初の数ページを読みくらべて、しっくりくる一冊を選んでみてください。
島にほら貝の音が響いたとき、あなたもきっと、少年たちの輪の中に立っているはずです。
English version of this review: Lord of the Flies
参考
- Wikipedia「Lord of the Flies」(1954年9月17日にイギリスのフェイバー・アンド・フェイバー社から刊行・ゴールディングの最初の長編であること・多くの出版社に断られたこと・草稿の題が Strangers from Within だったこと・編集者チャールズ・マンティースと大きく手を入れたこと・戦時中の疎開の途中で飛行機が無人島に落ちるという設定・少年たちの年ごろ・序盤の設定(金髪の少年ラーフとぽっちゃりした少年ピギー、二人がほら貝を見つけ、ラーフがそれを角笛のように吹いて生き残った少年たちを呼び集めること、ラーフが隊長に選ばれ、楽しむ・生きのびる・のろしを絶やさないの3つを掲げる、聖歌隊を率いていた赤毛のジャック、ラーフ・ジャック・サイモンがピギーの眼鏡でのろしの火をおこす)・『珊瑚島』から着想を得て、その物語を現実離れしていると考えていたこと・道徳やリーダーシップ、集団と個人などを主題とする作品と評されていること・モダン・ライブラリーの100冊・BBC「ビッグ・リード」(2003年)・Time誌の1923年以降の英語小説100冊(2005年)・2016年の英国の調査で学校で読んだ好きな本の3位・1963年ピーター・ブルック監督と1990年ハリー・フック監督の映画化) https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_the_Flies
- Wikipedia「William Golding」(生没年と生没地・オックスフォード大学ブレイズノーズ・カレッジで自然科学から英文学に移ったこと・1940年からソールズベリーのビショップ・ワーズワース校で英語・哲学・ギリシア語・演劇を教えたこと・1940年に英国海軍に入り、ノルマンディー上陸作戦でロケットを撃ち込む上陸用舟艇を指揮したこと・1980年ブッカー賞・1983年ノーベル文学賞・1988年のナイト爵) https://en.wikipedia.org/wiki/William_Golding
- Wikipedia「The Coral Island」(スコットランドの作家R・M・バランタインが1857年に刊行・3人の少年が南太平洋の無人島に流れつく物語であること・主人公の名がラーフとジャックであること) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Coral_Island
- Wikipedia(日本語)「蠅の王」(日本語訳の一覧・訳者・出版社・刊行年。新潮文庫の平井正穂訳が1975年3月に刊行され2010年11月に改版されたこと) https://ja.wikipedia.org/wiki/蠅の王
- 国立国会図書館サーチ『蠅の王 : 新訳版』ハヤカワepi文庫・黒原敏行訳・2017年4月 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I028101086
- 国立国会図書館サーチ『蝿の王』新潮文庫・平井正穂訳・2010年11月改版 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1970304959832853049
- 国立国会図書館サーチ『蠅の王』集英社文庫・平井正穂訳・2009年6月 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010300827
