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「タイムマシン」という言葉を、知らない人はいないでしょう。映画にもアニメにも、当たり前のように登場します。けれど、その言葉を広めた小説を読んだことがある人は、意外と少ないかもしれません。それが、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』(原題 The Time Machine)。1895年に発表された、SFの古典中の古典です。
長さは中編ほどで、一晩か二晩あれば読み通せます。今回は、はじめて読む方に向けて、物語の入り口と読みどころを紹介します。時間旅行の行き先で何が起こるのか、そして結末には触れません。
どんな本か――作者と時代
作者のH・G・ウェルズは、1866年9月21日にイングランドのケント州ブロムリーで生まれ、1946年8月13日にロンドンの自宅で亡くなりました。若いころは服地屋や薬屋の見習いとして働き、その後、教師の道に進みます。ロンドンの師範科学学校(Normal School of Science。のちの王立科学カレッジ)では、生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリーのもとで生物学を学びました。
『タイム・マシン』は、そのウェルズが世に出した最初の中編小説です。1895年の1月から5月にかけて雑誌『ニュー・レビュー(The New Review)』に連載され、同じ年の5月7日にアメリカのヘンリー・ホルト社から、5月29日にイギリスのウィリアム・ハイネマン社から本になりました。今日読まれている版の多くは、このハイネマン版の本文にもとづいています。
この作品の大きな功績のひとつは、「time machine(タイムマシン)」という言葉そのものです。この呼び名はウェルズが作ったもので、乗り物に乗って意図的に時間を移動する、という発想を広く知らしめました。ウェルズはその後も『モロー博士の島』(1896年)、『透明人間』(1897年)、『宇宙戦争』(1898年)と、今も読みつがれる作品を次々に発表します。ジュール・ヴェルヌらと並んで「SFの父」と呼ばれることがあるのは、そのためです。
物語の入り口――暖炉の前の、小さな模型
舞台は19世紀末のイギリス。ロンドン郊外のリッチモンドにある家で、毎週のように夕食会が開かれています。家の主人は、作中で名前を明かされず、ただ「時間旅行者(タイム・トラヴェラー)」と呼ばれる人物。物語を語る「私」は、その夕食会に通う友人の一人です。
ある晩、食後の暖炉の前で、時間旅行者は客たちに奇妙な話を始めます。学校で習う幾何学には思い違いがある。あらゆる物体は、縦・横・高さに加えて「持続」、つまり時間という四つ目の方向にも広がっている。そして、空間の中を動き回るように、時間の中も動けるはずだ――。
集まっているのは、議論好きで赤毛のフィルビー、心理学者、医師、地方都市の市長といった面々。もちろん、誰もすんなりとは信じません。すると時間旅行者は、金属と象牙と水晶でできた小さな模型を持ち出してきます。テーブルの上に置かれたその模型のレバーを、客の一人が自分の指で押すと――。
時間旅行者は、実物大の機械もほとんど完成していると言います。疑い半分の客たちを前に、彼が何をしようとしているのか。その先は、ぜひ本で確かめてください。
読みどころ――「信じない聞き手」と、未来への問い
一つ目の読みどころは、物語の組み立てです。この作品は、時間旅行者が友人たちに自分の体験を語り、それを「私」が書き留める、という形をとっています。聞き手たちは、最初からずっと半信半疑。読者は、その疑い深い客の一人として席に着き、「本当だろうか」と思いながら話を聞くことになります。この距離感が、不思議な話に妙な手ざわりのリアリティを与えています。
二つ目は、科学の言葉で語られる空想であることです。時間を「四つ目の方向」として説明し、もっともらしい理屈を一つずつ積み上げてから、ありえない出来事へと踏みこんでいく。魔法でも夢でもなく「機械」で時間を越えようとする、その手つきこそが、この作品を「タイムマシン」という言葉の生みの親にしました。
三つ目は、この作品が単なる冒険談ではないことです。英語版のウィキペディアでは、この作品はウェルズが生きた時代の社会への批評としても読まれてきた、と紹介されています。ウェルズ自身ものちに、この本を「人間の自己満足に対するもう一つの攻撃」と呼びました。楽しい空想の奥に、作者が読者に投げかけたかった何かが静かに置かれています。それが何なのかは、読んでのお楽しみです。
ちなみにウェルズ本人は、1931年にこの作品を振り返って「ずいぶん学生っぽい出来だ(a very undergraduate performance)」と書いています。けれど同時に、後悔はしていないとも述べました。若い書き手が最初の中編として書き上げた、粗削りで大胆な作品――そう思って読むと、細部の荒さも含めて愛おしく感じられるはずです。
そして何より、短いこと。古典SFに興味はあっても、分厚い本には手が出ないという人にこそ向いています。
こんな人におすすめ
- 映画やアニメでおなじみの「タイムマシン」の原点を読んでみたい人
- 古典SFに入門したいけれど、長編はハードルが高いと感じている人
- 空想の物語を通して、社会や人間について考えるのが好きな人
- 『宇宙戦争』や『透明人間』など、ウェルズのほかの作品も気になっている人
邦訳・版の案内
日本での歴史は古く、1913年には黒岩涙香による紹介が出ています。現在、文庫で手に取りやすいのは次の訳です。
光文社古典新訳文庫からは、池央耿訳の『タイムマシン』が2012年に出ています。新しい訳で、この作品だけを1冊で読みたい人に向いています。
岩波文庫の『タイム・マシン 他九篇』(橋本槇矩訳・1991年)は、表題作のほかにウェルズの作品9篇を収めた作品集です。ウェルズの短い作品もまとめて味わいたい人におすすめです。
「タイム・マシン」「タイムマシン」と、訳によって表記が違いますが同じ作品です。最初の数ページを読みくらべて、自分に合う訳を選んでみてください。
暖炉の前で模型が置かれたその瞬間から、あなたも夕食会の客の一人です。
English version of this review: The Time Machine
参考
- Wikipedia「The Time Machine」(雑誌連載の時期と掲載誌・米英の初版の刊行日と出版社・「time machine」という語・物語の枠組み・社会批評としての読まれ方・1931年の「a very undergraduate performance」と後悔はないという自評・1933年の評) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Time_Machine
- Wikipedia「H. G. Wells」(生没年と生没地・師範科学学校(のちの王立科学カレッジ)でハクスリーのもとで生物学を学んだこと・教師の経歴・主な作品の刊行年・「SFの父」という呼び名) https://en.wikipedia.org/wiki/H._G._Wells
- Project Gutenberg「The Time Machine by H. G. Wells」(eBook #35・第1章と第2章冒頭の場面・登場人物・リッチモンドの家) https://www.gutenberg.org/files/35/35-h/35-h.htm
- Wikipedia(日本語)「タイム・マシン (小説)」(日本語訳の一覧・1913年の黒岩涙香訳) https://ja.wikipedia.org/wiki/タイム・マシン_(小説)
- 紀伊國屋書店『タイムマシン』光文社古典新訳文庫・池央耿訳・2012年4月 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784334752460
- 紀伊國屋書店『タイム・マシン 他九篇』岩波文庫・橋本槇矩訳・1991年5月 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784003227619
