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「世界でもっともよく知られた本のひとつ」とも言われるのが、『アンネの日記』です。書いたのは、13歳の誕生日から日記をつけはじめた少女、アンネ・フランク。第二次世界大戦のさなか、日記をつけはじめてまもなく、彼女はナチス・ドイツの迫害を逃れて家族とともにアムステルダムの建物の奥の部屋に身を隠し、そこでもこの日記を書き続けました。いまでは75以上の言語に翻訳されています(アンネ・フランク・ハウスの公式サイトによる)。
学校の授業や本の紹介で名前を聞いたことはあっても、実際に通して読んだことのある人は、意外と少ないかもしれません。この記事では、はじめて手に取る方に向けて、アンネ・フランクという人と時代、日記が書き始められた経緯、そして読みどころを紹介します。なお、日記の本文は引用しません。アンネ自身の言葉は、ぜひ本で読んでください。
どんな本か――書き手と時代
アンネ・フランクは、1929年6月12日にドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれました。家族は父オットー、母エーディト、そして姉のマルゴー。ユダヤ人の一家です。
ドイツで反ユダヤ主義が強まるなか、父オットーは1933年にオランダのアムステルダムへ移り、家族も1934年2月までにそこへ合流しました。アンネが4歳半のときです。オットーは、果物からとれるペクチンを扱う会社、オペクタ商会の仕事を始めます。
ところが1940年5月、ドイツ軍がオランダに侵攻します。占領下のオランダでも、ユダヤ人を差別する法律が次々と出され、ユダヤ人の登録や隔離が進められていきました。アンネも1941年の夏以降、それまで通っていたモンテッソーリ学校を離れ、ユダヤ人のための学校に通うことになります。
この日記は、もともと出版を前提に書かれたものではありません。アンネが自分のために書き始めたノートです。ただ、のちに彼女自身が、戦後に本として出すことを考えて書き直しを始めます(このいきさつは「読みどころ」で触れます)。戦後、オランダ語の原書『Het Achterhuis』――英語では「The Annex」と訳される、隠れ家の部分を指す言葉で、題名はアンネ自身の案です――が、1947年6月にアムステルダムのコンタクト社から出版されました。英訳 The Diary of a Young Girl は1952年に刊行されています。2009年には、日記の原本がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。
日記の始まり――13歳の誕生日のノート
1942年6月12日、13歳の誕生日に、アンネはプレゼントとしてサイン帳を受け取りました。赤と白のチェック柄の表紙のノートです。アンネはこれを日記帳として使うことにし、6月14日から本格的に書き始めました。
この時点では、アンネはまだ隠れ家に入る前で、ユダヤ人のための学校に通う13歳でした。書き始めて間もない6月20日の日記には、当時オランダのユダヤ人に課されていた数々の制限が書きとめられています。13歳の少女の目に、占領下の暮らしがどう映っていたのかが、ここから伝わってきます。
それから一か月もたたない1942年7月5日、姉のマルゴーのもとに、労働収容所への出頭を命じる呼び出し状が届きます。一家は、翌7月6日に身を隠すことを決めました。隠れ場所は、父オットーの会社が入っていたプリンセンフラハト263番地の建物の、奥にある「アネックス(別棟)」と呼ばれる部分。やがてそこに、さらに4人が加わり、8人での隠れ家生活が始まります。
日記の多くは、「キティ」という名の相手にあてた手紙の形で書かれています。キティは実在の友だちではありません。アンネ・フランク・ハウスによれば、アンネが愛読していたオランダの少女小説、シシー・ファン・マルクスフェルトの『ヨープ・テル・ヒュール』シリーズに出てくる、明るくて少し生意気な女の子の名前に由来するといいます。手紙の形で書かれたその小説が、日記の書き方にも影響を与えたのかもしれない、とされています。
隠れ家の暮らしは、1944年8月4日に一行が逮捕されるまで、2年あまり続きました。アンネは1945年2月、ベルゲン=ベルゼン強制収容所で亡くなっています。隠れ家にいた8人のうち、戦争を生きのびたのは父オットーただ一人でした。日記を保管していた支援者のミープ・ヒースが、それを戦後オットーに手渡したことで、この本は世に出ることになります。
読みどころ――「書く人」としてのアンネ
一つ目の読みどころは、日記がとても率直なことです。家族への不満、自分は分かってもらえないという気持ち、将来の夢。思春期の少女が抱えるような悩みが、閉ざされた生活のなかで、まっすぐに書きとめられています。歴史の教科書に載っている人物ではなく、同じように笑ったり腹を立てたりする一人の人間として、アンネが近く感じられるはずです。
二つ目は、アンネが「書くこと」に本気だったことです。彼女はジャーナリストになることを夢見ていました。1944年3月29日、ロンドンに亡命していたオランダ政府の教育大臣ボルケステインが、ラジオ・オラニエの放送で、戦後、ドイツ占領下でオランダの人々が受けた苦しみを記録として残すこと、その際に手紙や日記も公にすることを語りました。これを聞いたアンネは、自分の日記を本にすることを考え、同じ年の5月20日から、多くの部分を書き直し始めました。そのため、日記には、自分のために書いた最初の版と、出版を考えて書き直した版の、二つの版が残っています(日本語訳の版との関係は「邦訳・版の案内」で触れます)。
一つの日記が、記録であると同時に、書き手が作品として仕上げようとした文章でもある。そう知って読むと、言葉の選び方の一つひとつが違って見えてきます。
三つ目は、日付ごとに書かれた日記という形そのものです。書き手は、明日どうなるかを知らないまま、その日のことを書いています。大きな歴史の出来事を、年表ではなく、一日一日の暮らしの側から知ることができるのは、日記ならではです。
こんな人におすすめ
- 名前は知っているけれど、まだ通して読んだことがない人
- 第二次世界大戦やホロコーストの時代を、一人の人の目線から知りたい人
- 思春期の気持ちを、自分の言葉で書きとめることに関心がある人
- 中学生・高校生のお子さんと、同じ本を読んで話してみたい人
邦訳・版の案内
日本語では、文藝春秋から深町眞理子訳の『アンネの日記 増補新訂版』が、単行本と文春文庫の両方で出ています。出版社の書籍ページによれば、単行本は2003年4月刊で、文庫版も同時に発売されました。
この版のなりたちは二段階です。まず、アンネが自分用に書いた版と公開用に書き直した版の二つをもとに、最初の出版のときに父オットーが削った部分も加えて編集したのが「完全版」。その「完全版」に、のちに新たに見つかった日記(文庫版の紹介では五ページ分)を加えたのが「増補新訂版」です。単行本の紹介では、ルビを増やして中学生から読めるようにしたとされています。
分量は文庫で608ページと厚めですが、日付ごとに区切られた日記なので、少しずつ読み進められます。
1942年の初夏、誕生日に贈られた一冊のノートから、この日記は始まりました。そのページを、ぜひ自分の手でめくってみてください。
English version of this review: The Diary of a Young Girl
参考
- Anne Frank House「Who was Anne Frank?」(フランクフルト生まれ・隠れ家に入った日・プリンセンフラハト263番地・隠れ家の8人・逮捕の日・ベルゲン=ベルゼンでの死去・オットー・フランクただ一人の生還・1947年の『Het Achterhuis』・ラジオ・オラニエの呼びかけと書き直し) https://www.annefrank.org/en/anne-frank/who-was-anne-frank/
- Anne Frank House「So, who is 'Dear Kitty'?」(キティが架空の人物であること・シシー・ファン・マルクスフェルトの『ヨープ・テル・ヒュール』シリーズに由来すること) https://www.annefrank.org/en/anne-frank/diary/so-who-is-dear-kitty/
- Anne Frank House「Two versions of the diary」(1944年5月20日からの書き直し・『Het Achterhuis』という題での出版の計画・A版とB版) https://www.annefrank.org/en/anne-frank/diary/two-versions-annes-diary/
- Anne Frank House「The publication of the diary」(ミープ・ヒースが日記をオットーに渡したこと・1947年にアムステルダムのコンタクト社から刊行・題名はアンネ自身の案・初版部数・各国語訳の年・75以上の言語) https://www.annefrank.org/en/anne-frank/diary/publication-diary/
- Wikipedia「Anne Frank」(1929年6月12日の生年月日・1933年と1934年のアムステルダム移住と当時4歳半だったこと・母エーディトと姉マルゴー・ペクチン(果物の抽出物)を売るオペクタ商会・1940年5月のドイツ侵攻と差別的な法律・1941年夏以降のユダヤ人学校への転校・1942年7月5日のマルゴーへの呼び出し状・13歳の誕生日のサイン帳・6月20日の記述・ボルケステインの放送内容・ジャーナリスト志望・「世界でもっともよく知られた本のひとつ」) https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Frank
- Wikipedia「The Diary of a Young Girl」(1947年6月25日の刊行・赤と白のチェック柄のサイン帳・1942年6月14日からの記述・1944年3月29日のボルケステイン大臣のラジオ放送・1952年の英訳・2009年のユネスコ「世界の記憶」登録) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Diary_of_a_Young_Girl
- 文藝春秋『アンネの日記 増補新訂版』文春文庫・深町眞理子訳(完全版と増補新訂版の説明・新たに見つかった五頁・文庫判608ページ・初版奥付日2003年4月10日) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167651336
- 文藝春秋『アンネの日記 増補新訂版』単行本・深町眞理子訳(2003年4月刊・文庫版も同時発売・ルビを増やし中学生から読める旨) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163596105
